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日本からホーチミンに戻ってきて思うこと。 [ホーチミンライフ!]

すごく楽しみにしていた日本一時帰国だけど、帰ってみたら結構忙しいし、親の老化が激しいし、

町も老人だらけで、なんかひたすら焦りを感じたり、イライラしてたりの側面が大きかった。



ただ一方で、日本に帰って、美容室にいったり、まつ毛エクステにいったり、脱毛にいったり、スキンクリニックにいったり、健康診断を受けたりと、自分のメンテナンスはできたわけで、、それらの水準、費用対効果はやっぱり日本は高いなと思いました。

まあ言わずもがなじゃろ、みんな知ってるがな、でしょうけど。



たとえばベトナムでも一度まつ毛エクステしに行ったんだけど、、。

たまたま下手な人にあたってしまったのかもしれないが、二時間かかった上に、その後目の痛みが取れないので再来店したら、グルーが乾く前に濡れたから、とか何とかで、結局一度全部とってまた付け直す羽目になり、また二時間。。

眠ってればいいじゃん、と思うかもしれないけど、その時はなんか眠ることもできないし、時々痛いし、もちろん目を閉じたままなので、いらいらしたなー。

それが日本でやるとさくっと20分、30分くらいで、何の痛みも不安感もなく、きれいにできてた。

エクステも日本のやつはソフトなので、目に負担もない感じだしね。


髪の毛がきれいになって、まつ毛がついて、ベトナムに帰国してから「きれいになった!!」と言われるので、それはよかったかな。

まあ、一人からしか言われないけど、一人から三回くらい言われたので、本当にそう思ったのでしょう、と思うことにしているw。


あと日本で仕入れてきた化粧品の影響も大きいのかも。

今年っぽい色と質感もクリームアイシャドウとリップは買いでしたね。



というわけで健康診断で、健康チェックもできたし、多少小奇麗になれたことはよかったですし、

日本一時帰国中に、日常を切り離して見た時に、「このまま漫然と嫌なことを改善しようと動かずにいるのではなく、とりあえず上司に相談するなりして、現実を変える努力をしよう」と決意を固められたのはよかったかな。



ベトナムに帰ってみても、やっぱり変わらない日常。

まあ、空港の近くで、フォーを食べて、グラブタクシーで自宅に向かう、その時に、帰ってきた、というか、この楽な空気、いいよねと思った。

自宅に帰って、ああ落ち着く。やっぱりこの部屋いい、と思った。

現実に帰ってきたと思った。

もはやここでの生活が日常で現実なのだ。悪くない場所。

いつも思うが、グラブタクシーに乗ってる時、私は幸せと平穏を感じる。

こういう自由さ、開放感は、日本の生活ではなかなか得難い感覚のようにも感じる。




職場に車に乗って運ばれていくのも、客先で仕事をするのも、久しぶりだと悪くない。

仕事仲間が迎え入れてくれて、やるべき仕事があって、ベルトコンベアのように自動的にその流れにのって、集中して全速力でタスクを処理していく。


久々だとそれも辛いことではないし、そういう居場所があることは、ありがたいことなのだと思う。


とはいえ、日本に帰ってる間に感じた以下は本音だろうと改めて思った。


”ホーチミンライフはいいんだけど、平日の、ドナドナのような、車に詰め込まれて連れていかれて、また帰ってくるまでの自由が相当に制限され、帰ってきたら疲れ果てている、というアレがいやなのよね。

そしてその仕事に対して、やりがいを見いだせず、ひたすら自分の時間を切り売りしてる感じがね。”



裁量権がなく、自由がなく、人権がない。



そう感じちゃうんだよな。


いや、そんなこともない、別に労働条件的にはブラックでもなく、労働とはそんなもんだろ?

といえる範囲なんだろうけど、残念ながら俺の魂が拒否している、といいましょうか。



無理やり、やりがいを探し出したり、報酬が悪くないだろ、と思ってみたりするが、俺の心は知っている。

早く脱出しないと心が死んじゃうよ?

逃げ出せる気力があるうちに、逃げろよ、とね。

あと数か月我慢すれば、ことが穏便にすむ?でもその数か月を犠牲にして何が人生に残るの?

逆に時間の無駄では?



という結論だよな。

サラリーマンとしては、使いやすい労働力としては失格なんだろうが、しょせん出世はないと思うと、

やりたいようにやらせてもらうぜって感じか。


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超個人的にバンコクと比べてホーチミンライフのいいところと嫌なところ。 [ホーチミンライフ!]

超個人的に、ホーチミンライフのいいところと悪いところ。

バンコクライフと比較してね。


1)外国人扱いされない。

私はベトナム人とそれほど外見的に差がないため完全に同化。

それが心地いい人もいるでしょうが、まあ私的には少しさみしいかな。

安全性は高いと思うけどね、外国人と思ってスリに狙われたりは少ないでしょうし、悪目立ちしたくない時にはいい。

あと言葉が自由に話せればいいと思うんだけど、言葉が通じないからね。


2)インターネットが自由に使えるおしゃれで素敵で居心地のいいカフェがたくさん!

これはもう、タイと比較にならない。

タイより格段にネット環境はいい。日本よりもね!!

無料で何時間でもインターネットが使い放題、かつちゃんとネット接続もいい。

そして雰囲気もナイス!リーズナブル!!

な店がごろごろしてるよー。

日本やタイでノマドしてると、シェアオフィスとか、カフェ情報というのはすごく貴重だったけど、ベトナムだとよりどりみどりで、ネット使える心地よいカフェがいっぱいあるし、安いから、ふつうにカフェをはしごすればいじゃん!って感じ。


3)音楽の趣味がいいカフェも多い。

逆もありますけど、ただのカフェなのに音楽のセレクションが超いいじゃん!!っていうカフェも結構あるんだよね。すごい有難い。

最近ぜんぜん音楽聞かないわたしだけど、若いころは、音楽好きで通っていた私。

そして気づいたんだけど、いまだに音楽はそれなりに私の感性には響きやすいみたいで、音楽がすごくいいと、すごく好きになりやすいというか、すごく有難いし、逆もしかりで、好みでない音楽・・たとえばベトナムの演歌みたいなやつとかが大音量でかかってる空間とか、本当に不快。一刻も早く逃げ出したくなる。

ベトナムのタクシードライバーとかで、たまにいるんですよね、自分好みの音楽を大音量でかけるやつ。

私の不快度はマックスです。

というわけで、これは結婚相手、交際相手にも重要な点だなと思ったわ。

音楽の趣味があわなくてもいい。

でも、自分的に耐えがたいものが好き、的な決定的な趣味の相違は耐え難いねえ。

とくに音楽、と思った。

まあ服の趣味、映画の趣味、食の趣味とかもいえるところだけど・・・音楽はとくに自分の生活に侵食してきますからね、ダイレクトに。

ちなみにバンコクでは、音楽の趣味が許せるレベルはあっても、趣味がいいカフェに出会ったことがなかった気がするからこその、ベトナムでの嬉しい驚きな気がします。


4)グラブバイク最高!!

グラブバイクがとにかく最高だよね。ぼられることもないし、言葉が話せなくても正確に目的地を伝えられるし、事前に料金もわかるし、安いし。タイにもグラブバイクは最近では進出してるけど、ふつうのバイタクとくらべて安くなかったので、あまり旨味がなさそうだった。

バリでも、グラブとかアプリタクシーを使おうとしたけど、チャングーは使えないとか、クタも中心部は使えないとか、既存権力との戦いに新興勢力のアプリタクシーが負けてて、使い勝手は悪かった。

ベトナムでも以前は、既存勢力との戦いが激しく、アプリバイクの運転手が、既存勢力に殴られたりとかいう事件はよくあったみたいだけど、完全に市民権を得てるね、すでに。


5)気候

年中曇ってるハノイに比べてホーチミンは気候がいい!ということになってるらしいけど、6月くらいから?雨期に入り始めてから、ほんとうに毎日のようにスコール。暑すぎなくて過ごしやすい日がずっと続いている。

たしかに3月、4月の雨季に入る前は気が遠くなるほど強い日差しにうげっとなったけど、その後はずっと過ごしやすい。過ごしやすい時期の長さという意味で言うと、バンコクよりも長い気がする。

ただスコールの時間帯がバンコクほどわかりやすくないかなー。

バンコクだとスコールは3時4時くらいの夜明け前、朝方と16ー17時くらいの夕方と、だいたい相場が決まってた気がするんだが、ホーチミンのほうがいつ来るかわからん感じがする。


6)買い物が不便

まあバンコクと比べたら圧倒的に、ものが売ってない。これが不便。

買い物の楽しみはあんまりない。

ベトナム人が「ホーチミンなら何でも売ってる」と言ってたのが信じられないレベル。

まあでもそこには2種類の意味があるな、と最近思います。

一つは売ってる場所が外国人でありホーチミン初心者である私にわかりやすくないだけで、売ってる場所を把握していけばたいていのものは手に入る、という意味。

二つ目は、ベトナム人に必要なものは何でも売ってるという意味。そりゃそうだ。ところが外国人的には、あれがない、これもない、となる。

あとはあるけど種類が限られてるっていうケースが多いかな。

テニスシューズ、売ってるよ。

でも、23cmのテニスシューズを買おうとしたらこの4種類から選んでね、みたいな世界。

店舗も同じ通りの路面店3店舗から選んでね、みたいな。

手に入らないわけではないけど、日本みたいにより取り見取り、ありとあらゆるテニスブランドの今年モデル、去年モデルの複数ラインから、気に入った商品を選んで、さらに楽天で安い店を調べて・・・みたいなこととは全然違うわけ。

ちなみにベトナムの通販サイトも複数教えてもらって調べたけど、やっぱり状況はそんなに変わらない感じだった。

たとえば電動歯ブラシ。

ネットで売ってはいたけど、やっぱりモデルはかなり限定的。


7)公共交通機関が不便

メトロとかBTSとかないですから、ホーチミンは。

これはバンコクとの大きな違い。

グラブバイクは確かに便利だけど、雨の中の移動とか億劫だしね。

たまにグラブバイクもグラブタクシーも時間帯的に全然捕まらなくて焦ることもあるし。

電車という選択肢がない世界というのは、ないならないで生きていけるけど、やっぱりあったら全然違うよね、と思う。


8)どこもかしこもファミリー仕様。

割とね。ベトナム人って、若くして結婚するので、ファミリーでのおでかけが多いと思う。

もちろん若い子のデートスポットとかもあるとは思うけど、それはティーンエイジャー向けって感じ。

大人がおとなとして大人だけで楽しめる娯楽スポットは少ない印象。

これは自分が子育て中だったらメリットかもしれないけど、そうじゃないと退屈。


もしかしたらおじさん向け娯楽はあるのかもしれないけど、おばさんの娯楽は、子育てに決まってるでしょ、それこそが幸せでしょ、というような価値観が支配的な感じを感じるなあ。

実際、若い女の子はワンピースとかおしゃれを当たり前に楽しんでいて、その感覚は別に世界から大きくずれてないと思うけど50歳すぎのおばさんとか、パジャマ?みたいな上下花柄のそろいの服を着てる人が大半。

おばさんはおしゃれとか個人的な楽しみから引退して当たり前、みたいな感覚なんだよねえ、いまだに。

タイもそういうところはあったけど、タイよりもさらに、な感じがする。



そんなところかな。


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絶対幸せになってやる。 [ホーチミンライフ!]

「絶対幸せになってやる」という気持ちに朝起きたらなっていた。


これはいいことだな、生活状況と、私の心身の健康状態が改善したんだなあ、と実感した。

良かった。


ベトナムに来てから毎日の仕事が必死過ぎて、毎日戦に出ていく気持ちで、眉毛を釣り上げて、刀を振り上げて荒野に出ていき、どこかを斬りつけられようが、その傷をかまっている暇もなく、四方八方からやってくる敵を斬りつけ、、時間が来たら切り上げ、帰ってきたらコンコンと眠る。

翌朝起きたら、また戦闘モードの開始である。


そんな生活を続けてきて、正直自分が何をやってるのかよくわからなくなっていた。

というか、忙殺されすぎて、プライベートタイムはカームダウンと放心だけであり、向上心というものが失われていた。

お風呂で熱いお湯につかり、「熱いお湯が豊富に出るきれいな湯舟がある生活というだけで感謝だな」と思ったり、テレビでマツコと有吉のかりそめ天国の録画をぼーっと見て、フフフッて思ったり。


それで時々、あれ?怠惰なのは昔から変わらないけど、それでも以前の私はもう少し意識高い系だったはず、、とぼんやりと遠い意識の中で思ったはず、、テレビだって、TEDが見れれば幸せと思ってたはずだし、タイにいたころは、休日に懸命にカフェでTOEICの勉強を何時間もしていたりしたじゃないか。


もちろんだらだらぐずぐずした怠惰な人間であることは変わらないけど、それでも基本は夢や希望や野心や向上心に満ちていたはず。


それが最近は、仕事という他人の都合的なものに時間を奪われすぎていて、自分が今後どうなりたいかとかどうしていきたいか、みたいなことを考える時間的余裕がさっぱりなかった。

し、そもそも昔は私は仕事が好きだった。仕事って、もっと自分なりのクリエイティビティを発揮したり、能力を認めてもらえたり、お互いの健闘を称えあえたりしたものだと思うけど、今の状況はただ命令に従うことした許されない。仕事=他人に時間を奪われているだけ、という図式になっている。


そして1か月前に転換期はあったものの、まだなんだかよくわからなかった。

けど、やっと自分の人生が戻ってきたような気持ちかも。


もちろんこの半年間にもなにかは学んでるはず。

でも時間を無駄にしたような気持ちもある。取り返さないとね!


それはそうと、最近よく、unhappiness と happinessはほぼ同時にやってくるな、と思ってた。

なんて嫌なやつなんだ、とか、嫌な体験はするんだけど、そのすぐ後に、なんて良いやつなんだ!という素敵な気持ちにさせてくれる体験がくる。


トータルとして、何も前には進んでないんだけど、でもその素敵ないいやつのおかげと体験のおかげで、私はまた前を向いて温かい気持ちで前に進んでいけている。


出会いがあれば別れもあり、別れがあれば出会いがあるはず。

何かを喪った分、何かが入ってくるはずであり、何か自分にとってとても重要で手に入れるべきものを手に入れるためには、余計なものは勇気をもって手放していくことも時に必要。


そうだな、この半年間で深く深く教わったことがそういえばあった。

それは、捨て身の勇気というか、覚悟というか、自分の権利を主張する勇気、愛する勇気、私はこれで幸せになりますんで!という自分の人生の歩みに対する自信というか、自分の人生を引き受けること。コミットすること。

東南アジアの皆さんから教わったことだ。

動物としての幸せに忠実になることも、人生の幸せだとも彼らを見ていて思った。

もちろん文明人として、それ以外の幸せも追求したいけど、そこも抑えときたい。


それが今、私は本当に自分が求めてることだし、いまならできると思うのだ。

下を見ればきりがなく、上を見てもきりがない。

幸せだなと思う瞬間がないわけではない。

でも、これで終わるとかありえない。

幸せは私の心が決めることなら、私の心は全く満足してないし、これを幸せとか言っちゃったら、自分の魂を売ってるのと一緒である。

自分の心を満たすことをあきらめちゃだめ!と思う。

こんな惨めな生活から抜け出してやる、

そしてそのためにはそれだけの努力をしないとだよなああ、しかも楽しみながら。


そのはじめに、この気持ち、覚悟ができたのはいいことだな。

絶対幸せになってやる!

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