世の中が大きく変動中の今、ピンチはチャンス! [日本本帰国?]
いやもう、あれよあれよという間に、世界中がこんなことになるなんて、予測はできたことだけど本当にこうなるとはって感じよな。
非常時、ということであれば、私も911とか311とか、フィリピンではメガ台風のヨランダが来たり、タイにいる時もクーデター、テロ、国王死去などいろいろあった。
ただ災害やテロは局地的なものであり、こんな風に全世界でほぼ同時多発というか、お互いに影響しあい、「全世界へお互いに渡航禁止しあう」みたいな事態とかは、生きてきて初めてのこと。
アウトブレイクとかパンデミックなんて映画の中しか聞いたことがない単語で、映画の中にいるみたいだが、本当にSF映画というのは意外と現実と近いところにあるものなんだなと思う。
あとは、第二次世界大戦にあれよあれよと巻き込まれていったであろう当時の市井の人に思いを馳せる。
私ももう少し決断が早ければ、会社をさっさと辞めて国外逃亡できただろうか、とか思うが、コロナウイルスに至っては、世界中どこが安全ということもないわけだし、自国にいるのが一番安心安全といえるだろうが、バンコクにもプーケットにもホーチミンにもバリにも、どこにもしばらくいけないと思うと、せめてキラキラ光る南国の海に潜んでたかったと思うのだ。
かといって2月とか3月頭の時点でタイやベトナムに入ったところで「コロナが来たぜ!」と嫌な顔をローカルにされていたとは思うけどね。
今私が一番思いを馳せるのは、近くなった世界と遠くなった世界のこと。
どの国でも「コロナ」は「コロナ」で、「コロナ~♪」というフレーズが印象的なベトナムでバズってるYoutuberのVSコロナソングとか、タイ国鉄のVSコロナソングとか、私はやっぱりお国柄ねえと、微笑んで聞いてしまう。
いやいやそんな場合じゃねえだろっていうか、日本では不謹慎と思われるセンスだけど、東南アジア的なセンスだと、全然ありなんだよなー。
タイでも政治的闘争をうまくビジネスチャンスにして、屋台でグッズにして売ってる、その商魂たくましさに恐れ入った覚えがあるけど、建前が「いやこれは手洗い啓蒙ダンスなんです」ということであればOKなんだもんなー。
あ、話はずれたけど、世界中が「コロナ」と呼び、世界中がマスクがない、トイレットペーパー買いだめだ、とか同じようにギャーギャー言ってることが、、そしてそもそも人種関係なく感染していくことが、人類みな兄弟、という感じでなんだか感慨深いのだ。
宇宙人を前にしたら、我々は地球人として一丸となって戦わないとならないのと一緒で、ウイルスを前にしたら我々も人類として一丸とならないといけない。
そもそもこんな風に世界中に急速に拡散したのは、世界が狭くなった、つまりお互いが国境をものともせずに頻繁に多くの人たちが行き来する世の中だったからだろう。
そんな風に私も国境をものともせずに、地方都市に行くかのように、タイやらベトナムやらに頻繁に行き来ができていたのに、こんな事態になったことで、急に外国であったことを思い知らされることになった。
さてでも、ピンチはチャンス。
こんな時こそ学びのチャンスだし、新しい発想を得るチャンスだし、大躍進のチャンスである。
中国と韓国はすでにウイルスから立ち直り始めており、さらにウイルスのデータを持っている。
一時的には大打撃を負ったが、欧米がウイルスに泣かされている隙に、立ち直って大躍進をするチャンスともいえる。
リモートワークが発達が促進されるであろうことは、今の私にはダイレクトにメリットがある。
もちろん既に派遣切りや雇止めが起きたりしているというニュースは聞くし、実際に予定されていたプロジェクトが取りやめになった話なども自分の会社ではきくし、研修期間中の人は首を切りやすいから、今の転職は非常に危険だという話もきく。フリーランスはいわんやと。
という意味では、物理的に身動きとれないだけでなく、転職活動的な面でもじーっと今は耐えて息を潜めていないといけないっぽい、一見。
だけどそうだろうか?
ピンチはチャンス。
こういう時こそ、需要を見つけ出して、いち早くビジネスチャンスに結び付けるチャンスだし、手持ちの株が暴落することを嘆いてるよりも、安くなった隙に買うべき株と、買うタイミングを見つけ出すことに勢力をそそげるんじゃないか?
特にコロナウイルスに有効性が確認された薬なんかを製造している会社の株とかやばいことになるんだろうなあ。
それでなくても、リモートワーク関連で、急激に需要を伸ばしている企業はたくさんあるしな。
マイクロソフトのTeamsの利用者が急増したとか。
あとは、いろんな会社がリモートワークに備え始めたので、ハード的な需要にも供給が追い付いてないと聞いたしな。
この危機を乗り越えて、世界がいい方に変わったらいいね、と思う。
しかしタイのプミポン国王が死去した時の生活に比べたら、生活上の制限は今のほうがまだマシだったりする。
あの当時は、2,3か月の間、外国人といえど、黒か白かせいぜい紺かグレーの服以外を着ることは憚られ、テレビもHPもすべてがモノクロになり、FBのアイコンも多くの人は黒一色にして哀悼の意を表し、BTSでもカフェでも、スーパーでもデパートでも、ずっと悲しい音楽が流れ。
私は失恋して毎晩枕を流しているような時期だったこともあり、世間までがそんな調子で、ウツになりそうだったことを覚えている。
実際あの時期、ウツになったタイ人は多かったそうだしね。
まあ長すぎるよな、1週間ならわかるけど、2か月も3か月も憂いを引きずるというのは、心身の健康によろしくない。
それに比べたら、今の生活はマスクファッションにつき、メイクが楽しめない、というくらいで、着たい服を着ていられる。
イベントが中止になったり、盛り場に繰り出すことができないのは、当時と変わらないけど、おおっぴらに情勢についての不安やらを口にできる。
当時は、相互監視の目線が激しかったし、外国人といえど、国王が亡くなって悲しんでナーバスになっているタイ人の気持ちを逆なでしないように、しずしずしんみりしていないといけないし、不敬罪の国なので、余計なことを口にしたらそれこそ逮捕もされるし、赤い服を着ていたタイ人が非国民扱いで罵倒されたり石を投げられるようなピリピリした状況。
というわけで、今のところはまだましだけど、これからだよな。
これからどれくらい続くかだねえ。
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