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2020年夏、ぐらぐらする足元で地に足をつけるべく頭を使え! [日本本帰国?]

コロナ禍で、あっという間に世界は変容した。

例えば私にとって、もはや生活の一部になっていた「ちょいとそこまで」感覚で、ビーチやら島やら、そうでなくてもどこか近隣諸外国にふらりと出かけることができない世界になった。


本格ノマド×フリーランス(ほぼ不労所得だったけど・・)だった時期は、バンコクを拠点に、バンコクに半年住んで、それ以外は数か月ごとに長期滞在、のようなライフスタイルだったが、それでなく、定住してサラリーマン生活を送っている時も、ちょっとガスが溜まれば「ちょいとそこまで」が普通のライフスタイルだった。

というか気持ちとしては、どっちに軸足を置いているともいえないハーフ&ハーフの生活。



だいたい、日本での就職を決めて、タイから日本に帰国した際も、気持ちとしては半々。

次の国に移住するため、次の国での就職先を見つけるまでの、当面の出稼ぎ。

自分で事業を興して、年の半分くらいはバンコクとプーケットに住む、あとの半年は日本か、オーストラリアとかヨーロッパとか諸外国。まあでもそんな夢がかなうにはやはりまだ時間がかかるので、いずれにしろ当面の出稼ぎ。


そんな気分だった。

タイはアメージングタイランドと言われるとおり、やっぱり愉快痛快、阿鼻叫喚、エログロナンセンス、不条理がまかり通る世界みたいなところがあって、「よくも悪くも別世界」で、私は浦島太郎になることを恐れていた。

金がなくても生きていけるから、最低限しか稼がず、あとはタイ住みだからこそできる経験や、自分のライフワークとしてやりたいことに、生活の主軸を置いていたと思う。

だが、今後、先進国で生きていくとした場合、あっという間に生活費はかさむのだから、働き盛りの日本人が日本で貯蓄を増やしている年ごろ、私はこれでいいのだろうか、という不安も芽生えてきた。


そして帰国して出稼ぎと相成ったのだが、そんな出稼ぎ生活をうっかり3年も送ってしまった。

その間にホーチミン勤務できて「別の国で働く」という第二の夢がかなったこともあり、完全に我を見失ったわけではないのだが。


ホーチミンから帰国して、ちょっと羽を休めている間に、コロナ時代に突入してしまい、東京から一歩も出れないとなると、気持ち的にハーフ&ハーフだった私は、半身が死んでしまったかのような気持ちである。


だが一方、「コロナのおかげ」という部分も結構ある。

まずは自宅勤務。飽きてきてはいるが、たまに会社に行くと、心底疲れるし、うんざりする。

コロナ以前に、週の半分でも自宅から勤務でいいという制度があったら、私は泣いて歓喜乱舞してたよね。

と思うと、恩恵でしかない。そのぶん、自分の時間はできたはずである。


また一番大きいのは「人間の本質」について、結構新しい視点を持てたことである。

私が得た悟りみたいなもんは、1)奴隷的労働と、2)自己顕示欲や好奇心や趣味的欲求を満たす、また歓心を得るための労働、3)生活のための家事的育児的労働の違いである。



なかでも、3)生活のための家事的労働というのは、主婦の労働は可視化されず労われず・・・と言われるが、人間は本質的に3)を喜んでするもんなんだなという発見があった。


家事も子守りも掃除も洗濯も料理も、職業として立派に金銭的価値がある労働である。

だけどさ、労働というか「生活そのもの」だったりもするんだよね。


ぜんぶ身の回りのこと人がやってくれて、お前は座ってるだけ、立ってるだけでよい、となったらそんな生活楽しいかといったら楽しくない。

あくまで2)がより楽しくて、かつ忙しいから、3)を全部自分でやろうとすると体力的にも精神的にも忙しすぎてきついから、人にやってもらいたい、とか、2)に時間をもっと割きたいから、人にお願いしたいケースが発生するというだけ。


でも実は3)は立派に、これこそが「幸せな生活」なんだなということだ。

だからコロナ禍で、人々はやたら、ひよこや犬を飼いたがったり、料理をしたがったり、ガーデニングや家庭菜園にいそしんだり、裁縫や日曜大工に没頭したりする。

人は、何かを育てるのが大好きなんだなと思った。育てたい本能があるんだと。

さらに作るのも大好き。それが、身近な人の役に立ったりするものだったら、充足感ひとしお。


カップルや家族で楽しみながら、料理したりキャンプしたりすることが立派で最高の娯楽になるというのは、つまり3)は、2)になりえるし、というか、原始人時代の仕事といったらほとんど全部3)で、3)に2)がくっついたものだったんだよな、ということ。


だから生きることは、そういう労働をすることなんだなということ。

でも労働こ素晴らしいと賛歌してはいけないのは、労働には1)という側面があり、1)は決して人間的ではないということ。


心の充足感を覚えず、それをやる以外生きる道がない(と思えて)、辛いけれど行う労働、褒められもせず、労わられもせず、対価もきちんと支払われず、なんなら責められ罵倒されながら行う労働。


それは最近ハッとしたことでした。


サラリーマンは現代の奴隷制度。

というフレーズは私の心に刺さったんだけど、同じ会社の中でもかなり人によるなと。

会社のリソースと名前を使わせてもらって壮大な実験や勝負、ゲームを行っているかのように、遊んでいるように楽しく働けている人もいる一方、それこそ不毛な仕事ばかり押し付けられて奴隷のようにこき使われている人も。


もちろんサラリーマンである以上、めんどうなこともやらないといけない。

ただそれが3)のような、理解可能な範囲のめんどくささでやる甲斐のあるめんどくささなのか、働けど働けど誰かの財産を肥やすだけで、自分は自転車操業で出世の見込みも大逆転の見込みもなく、死なない程度に生きていけるだけ・・だとするとね。


まあでも知恵が必要だよな。

「働けど働けど楽にならない、でもどうしていいかわからない、どうしようもないだよねえ」で、思考停止したまま、抜け出すための抜け道探しや、あと一歩抜きんでるための努力をせず、野垂れ死んだら意味がない。


開墾者のように馬車馬のように働いても、それで農場の主になって一財産築けたら、それは夢のある話だけど。


しかも夢を見ながらの労働は、苦しいだけじゃない。

とかいろいろ思いましたわ。


さて、そんな私は、サラリーマンをやめることにしました。

そしてこんな私は、10年以上前から他のブログに日記を書いてたんだけど、そのブログ説明を見て、改めておうっと思う。

2013年中にノマドライフが目標!起業して、海外に住んで、円を稼げたらいいなと。英語を鍛えつつ、起業準備でちゃくちゃくと体制を整えるつもりのWEBディレクターの日記。

 

 

おそらく2012年か2013年ころの私の人生も目標よね。
確かに私は2013年には海外生活を始めていて、2014年にはバンコクに住んで働き、並行で他運営サイトからの円収入は順調に増えていき、2015年からはその円収入を糧に本格的にノマドライフを始めた。英語も2012年ころにはたしかTOEIC600点代だったと思うから、それが2015年か2016年には、TOEIC865点をとれるようになったんだから、英語力もまあまあついた。
でも結局起業はできてない。
当時の目標も「起業する」ではなくて、「起業準備をはじめるつもり」と弱い。。。
弱すぎる。そういうことろがなんちゃってワナビークソ野郎なんだよな、自分。。。。。
数年の間、サイトからタイで暮らすのに困らない程度の円収入を得ていたのだって、ある意味ではビジネスとして成立してたわけだから事業といえなくもないけどさー・・結局もう畳んでしまったし。
さてコロナ禍。
起業準備に使える時間は、いつもよりはとりやすいはずだ。
通勤ないし、どうせ遠出はできないんだから!
しかしノマドライフに憧れてた理由は、時間と場所にしばられず働けるからだったんだけど、コロナの在宅勤務のおかげで、ある意味場所にしばられず働けてるというのはすごいよな。
まあでも結局、コロナのせいで場所にしばられてるので、結局自宅にいるんだけどさ。
なぜ海外にそんなに住みたいの?なんで英語が話せるようになりたいの?とたまに訊かれる。
説明するのは長くなるけど、それは魂レベルの感覚というか、動物的な皮膚感覚というかで感じることなんだよなあ。
拠点はいくつかほしい。
でもその拠点に依存し、その拠点が足かせになるような生き方がどうも自分には馴染まない。
いつでも気軽にふらっと、新しい風を感じにいけるようなオープンな心構えを足腰の強さ、筋肉!!
みたいなものを持っていたいというのは、この時代の人間としてそう不思議でもないよな。
今の若い世代で、島移住とか、田舎移住組もけっこういるわけだし、都会には都会の良さが、田舎には
田舎のよさが、日本には日本の良さが、海外には海外の良さがある。
どうして一つに絞らないといけないの?っという感じかなあ。
それらのいい所どりをするために、私は私の生活から海外拠点と英語を諦めないんだろうなあ。

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