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プエルトプリンセッサのバイタク運転手たち。 [フィリピン]

たしか19歳の時。

高校の同級生たちと女子4人でグアムの叔母の会社の保養所的なビーチに面したコンドミニアムで1週間、のんびり滞在した。それが初めての海外体験。なまこだらけの、でもエメラルドグリーンの海と、南洋的おおらかなライフスタイルは、こういう世界と生き方があるだ、と、まわりのエリート達に違和感を感じていてドロップアウトしかかっていた私にとって、価値観をゆるがすほど鮮烈だった。


次がたしか20歳になるかならないか。

タイをバックパックで周遊した。ドアを開けっぱなしで猛スピードで疾走する長距離バスと、そのバスの中でこれみよがしに濃厚なキスをする男子高生ゲイカップル、格安ゲストハウスの客引きが、人生で初めて見たおかまのお姉さんだったこと。タイ生活を数年経験した今ならおかまのお姉さんは責任感抜群で仕事できる率が高いので、スーパーのレジでも、レディボーイがいたらその列に並ぶというくらい、常識と化しているが、当時は親切でてきぱきと仕事をこなしながらも、女性的なしなを作ることを忘れないタンクトップと濃い目の化粧のお姉さんが、、、やっぱりウブな私には新鮮な世界だった。


さてそのあとは、ヨーロッパだ、インドだ、アメリカだ、、と大学時代から20代にかけて色んな国を訪れたけれども、やっぱり、バージン的な意味ではこの2か所。


あとはある意味自分の人生を変える転機となった場所といえば、2回目に訪れたタイ、チェンマイのヘルスリトリート施設であるタオガーデンであるし、初めて海外で働いた場所はタイだし、今のところ終の棲家の第一候補はプーケットだし、タイが自分にとって大きな存在であることは間違いない。


ただタイの本質、タイの文化や価値観、タイ人を愛してやまないかというと、というよりは、タイがとてもインターナショナルで自由な場所だから好きという側面が強い。


そしてこのブログにも書いたことがあるかもしれないが、実はタイに住み始めた頃は、フィリピン人愛、フィリピン愛を引きずっていて、なにかにつけてはフィリピンとタイを比べてはフィリピンを恋しく思っていたのだ。


そうなんだよな、実は熱烈に愛した国はフィリピンでした。


今でも覚えてるよ。

フィリピンセブで語学学校を卒業したあと、1か月パラワンに滞在して、インド1か月いって、それからバンコクで就職する。


自分で描いた黄金ルートで、その通りに事は運んだわけだけど、パラワンからインドに渡る1週間前から、フィリピンを離れることがさみしくてさみしくて、よく泣いた。

嫌なところもあるんだけど、この癖の強さ、あくの強さが、もう日常からなくなると思うとね。



だからといってフィリピンに住みたいと今思ってないのは、やっぱりフィリピンでは私の外見ではめちゃくちゃ「外国人」であって、タイようなガイジンとそうでもない人の間を行ったりきたりできるような無国籍な自由がない感じだからだろう。それにタイにはいろんな種類のガイジンがいて、世捨て人みたいなExpatから、ただの夢見るバックパッカー、余暇を楽しむ成功者、世界を股にかけるバリバリなビジネスマンの週末、若者から老人までいろんな年齢、いろんな国籍、いろんなタイプの人に会える楽しさがあるが、フィリピンはもう少しコミュニティも限定的で、会えるタイプの人というのが限られていた気もする。


ただ、私の人生を変えたのは、タイよりもむしろフィリピンだろうな。

フィリピンのオンライン英会話、さらにセブへの格安留学、フィリピンの英語産業のおかげで、私でもやれるかも?と一歩踏み出すことができた、今の私がいる。

ずっと忘れてたけど、もしかして人生で一番の成功体験かもしれない。


英語が話せたらいいなと思いながら、どうせ無理、とあきらめていた私が、やれるかもしれないという自信に目覚め、一歩踏み出すまで、そして実際にまあまあビジネスで使えるレベルの英語を身に着けて実際に海外で働いて住む夢をかなえたというのはね。。


まあきっかけは、二つぐらいあって、一つはタオガーデンで会った国を股にかけるすごく素敵な人たちであり、こういう風になりたい!!これだ!!!というパッションが作動したことと、そこでの英語でのコミュニケーションが私でも意外と話せるという自信を与えてくれたこと。

あとは、セブで格安英語留学が可能と知ったのはR25の記事だったんだよな。


結局、タオガーデンにしても、セブでの英語留学にしても、情報をキャッチして実際に行動して、インスピレーションがインスピレーションを呼ぶ形になったんだよな。


そしてずっと忘れてたけど、フィリピン生活の中でも、プエルトプリンセッサの思い出というのが意外と大きいんだよな。

というのも、それまでは英語学校の先生たちとばかり交流していけど、その時、はじめて市井の人々とたくさん交流したからだろう。とくにバイクタクシーの人たちの身の上話は、ぐっとくるものがあったんだよなあ。


いまとなってはタイでもインドネシアでもよく聞く、珍しい話ではないけど、出稼ぎで色んな島で、色んな稼業をする人生。


朝日新聞で、金正男実行犯のインドネシア人女性の半生を読んで、小説を読んでいるような感慨深さを覚えたけど、そういう感じだ。




プエルトプリンセッサで働いてる人なんて、地元の人かと思ったら全然違くてさ。

たしか妻とは死別したかなんかで、でもお金がないから正式な結婚はできなくて内縁の妻のままだったかなんかで、そして流れ着いてプエルトプリンセッサでトライシクルの運転手に落ち着いて、穴の開いたTシャツをきている彼は裕福そうには見えなかったけど、ここはいいところだ、ここでの生活を気に入っている、と言っていたっけな。



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