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2018年春夏は黄色がトレンド@日本。 [日本人について思うこと]

タイには今年の流行カラー的なもの、ありますか?


私がいたころはあまり感じなかった。


個人的には、自分の中で今着たい色、というのは明確にありましたが。


それがタイでの流行りとリンクしたいたかというと、あまりそういう印象はないですね。

どうなんでしょう。


2014年、タイに来たばかりのころはとにかく私は「白」にはまっていた。

自分が色黒になり、白が似合うようになっていたこともそのひとつだけど。

とかく、全身真っ白にちかいような恰好をしていた。


そのあとといえば、色というより、リネンが自分の中で流行ったが、これは日本の流行をうけてのもののような気がする。

2016、2017年あたりは、きれいなブルーとか、紺色とかが流行っていた気がするけど、これはずいぶん前、8年、10年くらい前から始まった趣味みたいなものなので、あまりここ最近の流行とは関係がないかも。


で、日本に帰ってきてこの春。

なんだか無性に黄色い服が欲しくて仕方がない。


そして、そのせいか、妙に街なかで黄色いワンピースを着た女性を見かける。

うん、これは流行っているのだろう。そしてそれに間違いなく影響されている模様。

黄色なんてクセの強い色、特別好きではない色をやたらほしくなるのはそういうわけだ。


しかしこういうのって危険よね。

こんなあからさまな流行色。

一過性の流行が去ったら、一気に「ちょっとやぼったい、ちょっと遅れてる」感が出てしまう。


しかし気になって仕方がない。


あとこの夏きてるものといえば、コットンとか麻とかの黒白とか青白、紺白のギンガムチェックとか。

黒地に白のランダムドットとか。


今年っぽい涼やかさにどうしても、ハッとしてしまうんだけど。

たぶんこちらは、そこまで強い欲望ではないので、なんとかやり過ごせるだろう。


ほかに日本で流行ってるなあ、というのはリバティ生地ね。


私もバンコク、ヤワラートでリバティもどき生地を買える・・というところから入り、本物のリバティとはてどう違う、、というところからリバティに個人的にはまりだしたこともあるので、リバティ生地のバリエーションはかなり頭に入っている。


その状態で、ルミネとかアトレとかを歩いてみると、まあまあ、ありとあらゆる店でリバティ生地のブラウスやらワンピースやらを売っているではないか!


リバティ生地は、流行ではあるし、柄自体にも流行があるけど、生地自体の芸術性が高い。
なので、こちらはまあ、、乗っかってもいいかな、と思ったりする。
アナトリエなんて、ここ何年も毎年、リバティ生地のワンピースをシーズンごとに柄や形を少しずつ変えて出しているわけで、息が長い流行、、定番に近い流行といえるかもしれないしね。
あああ、でも気をしっかりもたないと、黄色い何かを買ってしまいそうだわ!
ただここ数年、日本に帰ってくるたびに、無彩色&シンプルな形、みたいなのが流行ってるのがちょっとつまらないなーと思っていたので、黄色みたいな派手色が流行ったりするのは、ファッションを面白く華やかに楽しむという意味では大歓迎だけどね!
やっぱり私にとってはハッと新鮮な気分を持ってきてくれるもの、ファッションは気分転換させてくれるものだから。

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東京で再び働き始めて1か月。 [日本人について思うこと]

東京で再び働き始めて1か月。
思うところはある。
自分が浦島太郎みたいに思うこともある。
4年留守にしている間に、外見だけずいぶん年をとったし、日本で流行っているものもピンとこない。
だいたいなんで制服みたいにみんな同じ格好をしているのだ?
喪中でもないのに、どうしてみんな白、黒、グレー、紺ばっかり来ているの?
それもこれも、価値観が、愛されOL、素敵OL、あこがれられOLみたいな陳腐なステレオタイプに
集約していってしまうからではないだろうかと考える。
東京のバリキャリウーマンってこんな感じ、素敵OLってこんな感じっていうビューが
ここにいるとみんな同じ方向にいってしまうんだろう。
わかる気がする。
私も4年ぶりで、秋服も冬服も4年前のものしかないため、なんかどこか古臭い。
そこで洋服を買いたいなと思ったときに、しかし新入社員ということもあって悪目立ちをするべきではない。
となると、周囲を見渡して素敵に見えた人の模倣に入ってしまう。
あんな感じの服いいな・・みたいにね。
だけど、周りを見回すと、まあまあほんとみんな同じ格好すぎて、、、自分も入隊したみたいな感じになることを思って絶句する。
まあこういう超シンプル服が数年前から流行していることは帰国のたびに感じて、つまんねーーのと思っていたけど、自分も帰国してきたとなると
その流れに乗るようになってしまう自己矛盾。
なんだかねー。
ま、着たいものを着なさいなっていうシンプルな話なんだけど、ここにいるとあっという間に自分の価値観が
スポイルされ、毒されていっていまう危険をすごく感じている。
ちなみに私は超シンプル服は好きである。
好きだった。
でもそれは、みんなが着飾っている時分だったからこそ、映えたというのがある。
みんながみんな究極のシンプルを追求し始めたら、本当に学校制服の世界である。
そして差をつけるのはディテール。。
学生のおしゃれだよね。
ちょっと丈を詰めてみる、みたいな。。。
私も、あいつは愛されOLでもなければ、憧れられOLでもない、ということで、勝手に低く価値を見積もられるだけではなく、
それを真に受けて、ああ私はイケテナイ人間なんだと思ったり、愛されたりあこがれられたりするために努力をしようとしたりしてしまいそう。
まあ私の会社が外資系なので、そこまで・・と思いたいが、どうだろう。
そんなことを思いながら、バリバリのオフィス街から、勝手知ったる新宿へ。
やっぱり新宿は面白いな。
新宿こそ東京だと認識している自分がいることに気づく。
本帰国してからは新宿にはあまり行っていなかったのだが、もっと来ていてもよかったかもと思った。
だいたい新宿ルミネを端から端までクロールし、ユニクロ、無印良品、ZARA、H&M、Forever21もチェック。
そうすると、だいたい今東京の標準的なファッションがどういう感じのステータスなのかというのが、なんとなくつかめてくる。
新宿はそれがやりやすい街。
私はもう大人で、すごくとんがった服は必要ないし、だいたい東京ファッションの流れはすでに
全然追えてないので、新宿リサーチが必要十分なのである。
しかしファッションとは不思議なものである。
今年のファッションの意味はわからなくもない。
売っているものは、すでに私が通過してきたものばかりである。
つまり、それを魅力的に思って着てきた私がいるのだから、それを今かわいい素敵とおもう人がいるのもわかる。
しかし私としてはもう着つくして飽きた流れがあるわけで、新鮮味がない。
ファッションって新鮮味があってこそ成り立つもの。
だからこそ、どんなに素敵な服だとしても、町中の人がみんな着てたら、その時点で新鮮味がないのである。
というわけでね、、、
だからこそやっぱり他人がどういう服を着ているかというのも知らなくちゃいけない。
日本に住んでいたころは自分にとって新鮮=他人にとっても新鮮だからめんどくさいことはなかった。
でも今は違う。
日本に帰国してきたばかりで新鮮に映ったものが、実はみんなが去年着まくったものということもあるだろう。
それでもいいじゃん?とも思うけど、1年後のことを考える。
私はすでに日本のファッションの系譜をつかんできているであろう。
そうなったときに、その服をもう着たくない、と感じるのじゃないだろうか。
それを恐れる。
ちなみに上戸彩がソフトバンクのCMで着ているようなピンク色のVネックのワンピースがすごく素敵だと思って、欲しいと思った。
街中でああいうワンピースを着ている人も素敵に見える。
着ている人はたくさんいるのに、どこで売っているのかよくわからない・・と思っていたところ、
昨日、まさにこういうのだわよ!っていうのを新宿で発見した。
素敵だった。
だけど、それを着ている私を想像してみたら、私は一体どこへ行こうとしているのだろうかと感じた。
芸能人ならいいし、結婚式とか保護者会とか、イベント用ならいい。
でもこれを日常的に末永く着て歩く意味がよくわからない、、、みたいな気持ちになった。
だいたい女性的すぎる。
こんな服を着た女性が、バリバリといいシステムを作るようには見えない。
なんだか無意識に「私は補助的立場で満足しています」というメッセージを送ってしまうような服に見えた。
攻めが足りなすぎる。
きりッと感が足りない。
おしゃれでかわいいし、上品でもある。
だが、そこにカッコよさ、クールさ、知性、オリジナリティもわたくしは求めますが、それはなかった。
まあそんな東京ライフ。
今日は素敵なガーデンカフェを会社の近所に見つけ、気候もすこぶるよく、つかの間の幸せを味わったけど。
まだうまく機能してない。
しかし
そんなことをうだうだと思いながらも、新宿クロールを終えたら
ことのほか気分がすっきりしていた。
東京では、楽しみが物欲に偏りがちになる。
より機能がいいもの、よりおしゃれなもの、、と、尽きることがない
物欲を追い求めながら生活していくことになりそうだ。
それも危機感を感じていたとろではある。
タイには確実に違う生き方と人生の楽しみがあった。
なんだか過食症的である、東京ライフは。
タイではもっと健全な食欲と満腹感があったように思う。
必要十分なものをそろえれば、それでしばらくは満足して暮らせ、
たまに生活への彩として、不必要だけど可愛いものを買ったり、
道具をアップデートしたりする。
そもそもそんなに素敵なものであふれていないから、そういう
健全なサイクルで成り立っていたと思う。
ところが東京ライフはどうだろう。
目移りしようと思えばいくらでも目移りできる。
手が届く距離間に、より新しく、より素敵なものが続々と
アピールされてくる。
消費行動、購買行動に追われる東京ライフを不毛に感じて、
ミニマムライフに移行している流れはあるのだろう。
だけどやっぱり、ミニマムライフには、ではそのぶん生活の楽しみをどこに
持ってくるのか?っということが必要なのだが、それに代わる
楽しみ方が東京には少ない気がするわ。
結局、スポーツやイベントを楽しむしても、そこには
そのためのグッズやファッションに凝るという楽しみ方に
人々は走っている気がする。
料理にしたって、結局は道具や素材に凝る方向に行ってしまう。。
なんか解放されない感じある。
さてずいぶん話が冗長になったが、なぜ新宿クロールが楽しかったか。
結局、foerver21でセール品になっている1000円のセーターを2枚買ったからな気がする。
ファストファッション、すごい。
もっと大事に洋服を買おうと思うけど、今みたいにとにかく
服がないし、みんなと同じ制服みたいな服にお金もかけたくないし、
みたいなときに、なんて便利なのでしょう。
日本は高い。
2週間ほど前、新宿に寄ったときは新宿新南口あたりで、ふと疲労を感じて、ちょっとカフェにでも入って
一服したかったとき、駅前カフェのコーヒーがどこも
400円くらいして愕然とした。
こんな町もういやだと思った。
新宿はカフェ難民になりやすい街。
カフェ難民になるのはとても嫌である。
でも一方で、日本は安くもある。
それになんだかんだと都会の刺激があった。
目に入ってくる情報量が多く、歩くだけで楽しい。
今回はやっぱり新宿付近に住めばよかったかなと思ったりした。
そう、今度は違う街に住む。何はともあれ、これからは部屋作りの楽しみ=東京ライフをどう形作っていくのかという楽しみが出てくる。
楽しみなことは楽しみだ。
だが、すでに東京つまんねーな、みたいな閉塞感を感じつつもある。
もちろん自分のキャパシティのせいもある。
どこにいても楽しみは自分次第で見つけられるというのも半ばは正論である。
とはいえ、半ばは人間を組織でうまく飼いならすための嘘である。
海水でしか生きられない魚を淡水に持ってきても弱って死んでしまう。
自分があう環境に移動して、好きなように生きるべきと私は思う。
だけど、組織とうまく付き合っていかないと人間は生きられないというのもまた半ばは正論。
このバランス、距離感が問われる時代なんだろうなあ。

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人間ベルトコンベアー!! [日本人について思うこと]

今日本に帰国してきており、今日は運転免許の更新に行ってきました。
いやぁー、日本の真骨頂を見た気がする。
なんてシステマティック!
なんてスムーズ!!
なんて合理的!

この人間ベルトコンベアシステムを構築して運用してるほうも凄いけど、協力的に自らスムーズに流されていく客というか日本人すげーと思いました。

我々はスムーズに物事を進ませるために自我を殺して無になることを会得している民族であるとつくづく思いました。

満員電車だってそうだ。
電車が遅延している。
でもあと15分で動くと言っている。
待つしかない。
そうなったらホームで並んで粛々と待つ。
できる限り大人数が乗り込めるように、貨物になって、感覚をシャットダウンして電車に押し込まれる。

この感覚と似たものを免許センターでも感じて、なんかすげーと思った。
よくも悪くも。

絶対に欧米人にもタイ人にも無理じゃね?と思った。
あちこちでマイペース行動や自己主張行動が蔓延して、こんなにうまく流れないんじゃね?と思った。

いやぁホントに車の生産管理方法なんだっけ?ホンダだかトヨタだかのなんとか式。
あれ思い出したもん。

すべての持ち場の職員が迷い子を出さないように、更新者の手持ちの表をきちっと事前に確認して、事後にも確認する。

迷い用がないように。。

これは凄いけど、たぶん日本にいたら「免許更新、時間かかるし疲れたわ~」という感想しか持たなかったと思うんだけど、タイ帰りの私は、日本においてはこのようにシステムの一部として粛々と自我を殺しベルトコンベアを流れていくことを日常的に耐えていかなくてはいけないのだと思い知った。

日本で暮らすとはそういうことで、いつの間にかそのことが当たり前になり、如何にベルトコンベアをスムーズにうまく流れられるかが、自らが優秀であるか、ということになっていくのだ。
先読み力、空気読み力、、、そういうことが能力として叫ばれがちなのも納得。

つまり的確で優秀な歯車であることこそが求められる生活。。

もちろん生活の100%ではないだろう。
でもそういうことが生活の中に締める率がタイにいるよりずっと高いんだっけね。。

なんか息苦しいかも。
なあんて、思っちゃった。

まあ無いものねだりだね。
同じだけの手続きをやろうとしたら、日本なら1時間半で済むことだけど、タイなら5時間かかってる可能性高し。
それでもっと合理的にやれないの?と、へなへなーってなってるかもだからね(笑)

人間はぜいたくだ。

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