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東京で再び働き始めて1か月。 [日本人について思うこと]

東京で再び働き始めて1か月。
思うところはある。
自分が浦島太郎みたいに思うこともある。
4年留守にしている間に、外見だけずいぶん年をとったし、日本で流行っているものもピンとこない。
だいたいなんで制服みたいにみんな同じ格好をしているのだ?
喪中でもないのに、どうしてみんな白、黒、グレー、紺ばっかり来ているの?
それもこれも、価値観が、愛されOL、素敵OL、あこがれられOLみたいな陳腐なステレオタイプに
集約していってしまうからではないだろうかと考える。
東京のバリキャリウーマンってこんな感じ、素敵OLってこんな感じっていうビューが
ここにいるとみんな同じ方向にいってしまうんだろう。
わかる気がする。
私も4年ぶりで、秋服も冬服も4年前のものしかないため、なんかどこか古臭い。
そこで洋服を買いたいなと思ったときに、しかし新入社員ということもあって悪目立ちをするべきではない。
となると、周囲を見渡して素敵に見えた人の模倣に入ってしまう。
あんな感じの服いいな・・みたいにね。
だけど、周りを見回すと、まあまあほんとみんな同じ格好すぎて、、、自分も入隊したみたいな感じになることを思って絶句する。
まあこういう超シンプル服が数年前から流行していることは帰国のたびに感じて、つまんねーーのと思っていたけど、自分も帰国してきたとなると
その流れに乗るようになってしまう自己矛盾。
なんだかねー。
ま、着たいものを着なさいなっていうシンプルな話なんだけど、ここにいるとあっという間に自分の価値観が
スポイルされ、毒されていっていまう危険をすごく感じている。
ちなみに私は超シンプル服は好きである。
好きだった。
でもそれは、みんなが着飾っている時分だったからこそ、映えたというのがある。
みんながみんな究極のシンプルを追求し始めたら、本当に学校制服の世界である。
そして差をつけるのはディテール。。
学生のおしゃれだよね。
ちょっと丈を詰めてみる、みたいな。。。
私も、あいつは愛されOLでもなければ、憧れられOLでもない、ということで、勝手に低く価値を見積もられるだけではなく、
それを真に受けて、ああ私はイケテナイ人間なんだと思ったり、愛されたりあこがれられたりするために努力をしようとしたりしてしまいそう。
まあ私の会社が外資系なので、そこまで・・と思いたいが、どうだろう。
そんなことを思いながら、バリバリのオフィス街から、勝手知ったる新宿へ。
やっぱり新宿は面白いな。
新宿こそ東京だと認識している自分がいることに気づく。
本帰国してからは新宿にはあまり行っていなかったのだが、もっと来ていてもよかったかもと思った。
だいたい新宿ルミネを端から端までクロールし、ユニクロ、無印良品、ZARA、H&M、Forever21もチェック。
そうすると、だいたい今東京の標準的なファッションがどういう感じのステータスなのかというのが、なんとなくつかめてくる。
新宿はそれがやりやすい街。
私はもう大人で、すごくとんがった服は必要ないし、だいたい東京ファッションの流れはすでに
全然追えてないので、新宿リサーチが必要十分なのである。
しかしファッションとは不思議なものである。
今年のファッションの意味はわからなくもない。
売っているものは、すでに私が通過してきたものばかりである。
つまり、それを魅力的に思って着てきた私がいるのだから、それを今かわいい素敵とおもう人がいるのもわかる。
しかし私としてはもう着つくして飽きた流れがあるわけで、新鮮味がない。
ファッションって新鮮味があってこそ成り立つもの。
だからこそ、どんなに素敵な服だとしても、町中の人がみんな着てたら、その時点で新鮮味がないのである。
というわけでね、、、
だからこそやっぱり他人がどういう服を着ているかというのも知らなくちゃいけない。
日本に住んでいたころは自分にとって新鮮=他人にとっても新鮮だからめんどくさいことはなかった。
でも今は違う。
日本に帰国してきたばかりで新鮮に映ったものが、実はみんなが去年着まくったものということもあるだろう。
それでもいいじゃん?とも思うけど、1年後のことを考える。
私はすでに日本のファッションの系譜をつかんできているであろう。
そうなったときに、その服をもう着たくない、と感じるのじゃないだろうか。
それを恐れる。
ちなみに上戸彩がソフトバンクのCMで着ているようなピンク色のVネックのワンピースがすごく素敵だと思って、欲しいと思った。
街中でああいうワンピースを着ている人も素敵に見える。
着ている人はたくさんいるのに、どこで売っているのかよくわからない・・と思っていたところ、
昨日、まさにこういうのだわよ!っていうのを新宿で発見した。
素敵だった。
だけど、それを着ている私を想像してみたら、私は一体どこへ行こうとしているのだろうかと感じた。
芸能人ならいいし、結婚式とか保護者会とか、イベント用ならいい。
でもこれを日常的に末永く着て歩く意味がよくわからない、、、みたいな気持ちになった。
だいたい女性的すぎる。
こんな服を着た女性が、バリバリといいシステムを作るようには見えない。
なんだか無意識に「私は補助的立場で満足しています」というメッセージを送ってしまうような服に見えた。
攻めが足りなすぎる。
きりッと感が足りない。
おしゃれでかわいいし、上品でもある。
だが、そこにカッコよさ、クールさ、知性、オリジナリティもわたくしは求めますが、それはなかった。
まあそんな東京ライフ。
今日は素敵なガーデンカフェを会社の近所に見つけ、気候もすこぶるよく、つかの間の幸せを味わったけど。
まだうまく機能してない。
しかし
そんなことをうだうだと思いながらも、新宿クロールを終えたら
ことのほか気分がすっきりしていた。
東京では、楽しみが物欲に偏りがちになる。
より機能がいいもの、よりおしゃれなもの、、と、尽きることがない
物欲を追い求めながら生活していくことになりそうだ。
それも危機感を感じていたとろではある。
タイには確実に違う生き方と人生の楽しみがあった。
なんだか過食症的である、東京ライフは。
タイではもっと健全な食欲と満腹感があったように思う。
必要十分なものをそろえれば、それでしばらくは満足して暮らせ、
たまに生活への彩として、不必要だけど可愛いものを買ったり、
道具をアップデートしたりする。
そもそもそんなに素敵なものであふれていないから、そういう
健全なサイクルで成り立っていたと思う。
ところが東京ライフはどうだろう。
目移りしようと思えばいくらでも目移りできる。
手が届く距離間に、より新しく、より素敵なものが続々と
アピールされてくる。
消費行動、購買行動に追われる東京ライフを不毛に感じて、
ミニマムライフに移行している流れはあるのだろう。
だけどやっぱり、ミニマムライフには、ではそのぶん生活の楽しみをどこに
持ってくるのか?っということが必要なのだが、それに代わる
楽しみ方が東京には少ない気がするわ。
結局、スポーツやイベントを楽しむしても、そこには
そのためのグッズやファッションに凝るという楽しみ方に
人々は走っている気がする。
料理にしたって、結局は道具や素材に凝る方向に行ってしまう。。
なんか解放されない感じある。
さてずいぶん話が冗長になったが、なぜ新宿クロールが楽しかったか。
結局、foerver21でセール品になっている1000円のセーターを2枚買ったからな気がする。
ファストファッション、すごい。
もっと大事に洋服を買おうと思うけど、今みたいにとにかく
服がないし、みんなと同じ制服みたいな服にお金もかけたくないし、
みたいなときに、なんて便利なのでしょう。
日本は高い。
2週間ほど前、新宿に寄ったときは新宿新南口あたりで、ふと疲労を感じて、ちょっとカフェにでも入って
一服したかったとき、駅前カフェのコーヒーがどこも
400円くらいして愕然とした。
こんな町もういやだと思った。
新宿はカフェ難民になりやすい街。
カフェ難民になるのはとても嫌である。
でも一方で、日本は安くもある。
それになんだかんだと都会の刺激があった。
目に入ってくる情報量が多く、歩くだけで楽しい。
今回はやっぱり新宿付近に住めばよかったかなと思ったりした。
そう、今度は違う街に住む。何はともあれ、これからは部屋作りの楽しみ=東京ライフをどう形作っていくのかという楽しみが出てくる。
楽しみなことは楽しみだ。
だが、すでに東京つまんねーな、みたいな閉塞感を感じつつもある。
もちろん自分のキャパシティのせいもある。
どこにいても楽しみは自分次第で見つけられるというのも半ばは正論である。
とはいえ、半ばは人間を組織でうまく飼いならすための嘘である。
海水でしか生きられない魚を淡水に持ってきても弱って死んでしまう。
自分があう環境に移動して、好きなように生きるべきと私は思う。
だけど、組織とうまく付き合っていかないと人間は生きられないというのもまた半ばは正論。
このバランス、距離感が問われる時代なんだろうなあ。

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