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バンコクで2年働いて解った大事なこと。 [バンコクで働く!]

世界を知るには、海外に住んで、海外で働いてみること。

そんな風に思ってバンコクにやってきてちょうど2年。

ふと自分がこの2年間で得た一番貴重なものはなんだろうかと考えた。

そしてふと思ったのは、「金(カネ)」への理解が進んだことだと思った。

それも「貧乏な側」からの「カネ」とは一体なんであるのか、ということへの理解。

「リッチな側」からは、また全然違うものが見えてくるだろう。

さて格差の少ない日本において、私は「リッチな側」も「貧乏な側」もたいして経験してこなかった。

「カネ」について無感覚でいられるくらいに、「ふつう」だったからである。

自分のまわりにいる人は、みんな満員電車に乗って律儀に通勤して、朝から晩まで働いて、洗濯物も自分で干して、、という人たちだった。

自由になるお金に程度差はあれ、送る生活に大差はない。

タイに来て初めて、経済格差に心が折れそうになる経験をしたのである。

そして更に下には下がいるので、彼らにとっての「カネ」がどのようなものであるのかも、自分の心情を通してそこそこ理解できるようになった。

これはとても大きな財産だと思う。

話に聞いて頭では理解ができていたことだけれども、実際に自分の心が痛み、自分の肌で感じたことを、本当に理解したことと言えるのだと思うから。

そして「リッチな側」も、結構、目にすることはあるので、それも多少はわかる。

私は今もフィリピンで働いているアメリカ人の言葉を忘れていない。

彼は言っていた。

「人はカネで動くんだよ。このカネをやるからジャンプしろといったら、ジャンプするんだよ。貧困とはそういうことだ。」

まあそれに類するような経験になるだろう。 

そして時間差で

「カネの切れ目は縁の切れ目」

という現実も味わうことになるのだろう。

金で人は釣れるし、動かすこともできるけれども、やっぱり心は買えないのだと思う。

カネはあくまで即物的な刺激であり、あくまでカネについていく魅力であって、カネを払った人の気前の良さについていく魅力ではないのだろう。

いや多少はあるだろう。

一般的経済レベルの東南アジア人にとって、概してカネ払いのいい人=「いい人!!」になるようにも見える。

金持ち=尊敬や憧れの対象であるようにさえ見える。

とはいえ、それはやっぱり「カネ」についていく魅力であって、「その人の人格」にはついていかないからこそ、カネが消えたら魅力も消えるのだろう。 

ただあくまで自分の経験ではなくて、身近な人のことなので、体感として会得したわけではないけれど。

あくまで上記は、リッチはリッチでも、上記は物価の高い国から安い国にきて、その差を利用してリッチを楽しんでちょっと贅沢をするようなプチリッチさ。

資産家や投資家における「お金」は、また全然違うのだろうけど。

それから貧乏といってももちろん「その日暮らし」レベルまではわかってないだろうな。  

それから「外国風のカネの上手な使い方」みたいなもの。

ようするにチップの上手な使い方、賄賂の上手な使い方みたいなもので、東南アジアでは公的な機関でまかり通っているものである。

警察、郵便局、入国管理局、 、、どこにも汚職があり、どこにも賄賂がある、、もちろんどこの国にも程度差はあれあるだろうけど、東南アジアでは上層部の話ではなくて、末端&小市民レベルで存在している。

これも私は会得してないけれども、それも含めて「カネとは一体なんなのか」ということは、日本に住んで働いていたら痛感できなかったものだと思う。

貧困とか貧富の差だけではなくて、「行政への信頼感の無さ」も、カネの威力がここまで幅を効かせる原因だから。

法律や福祉が守ってくれない無法地帯に近い社会であればあるほど、頼れるものは「血縁やコネ」と「カネ」なんだよね。

真面目に頑張って働いていれば報われる、悪いことをしたら裁かれる、そういう信頼が社会にあるからこそ、日本人は誠実で勤勉で善良でいられるのだとつくづく思う。

日本人にとってのセイフティネットは、仕事や行政、法律なんだけど、東南アジアの多くの国でのセイフティネットは「家族・親戚」と「家族・親戚のなかに一人ぐらいはいる金回りのいい人」なわけで、そりゃあ家族行事を仕事よりも優先するよね・・。

さてそして自分もカツカツで生活しているのに、外国人ということで気前の良さを期待されているのは日常茶飯事なわけだけど、それに対しては、ジョークなどでいなしながら軽くかわしていくというのが正解と言われている。

もちろん多少は気前よくしてあげたほうがいいのだが、こちらにも懐事情というものはあるからね。。

このことに対してフラストレーションを感じることはあるけれど、これに関しては「東南アジア人から外国人への金銭的な期待」と「男性から女性への性的な期待」と同列くらいに捉えて、どちらも日本人女性としては時に「理不尽な期待」「正直よくわからない」けど「ある意味存在するのは仕方がないもの」としていちいちショックを受けたり傷ついたりすることなく、かといってこちらが犠牲になることもなく、するりとスマートにかわしていけたらベストなんだろうなあ。

そして最もフラストレーションを感じるのは、経済格差というより「何にどのようにお金を使うのか」の差だったりするのだろうけど、それは結局、人生観や価値感の違いがもろに出るところなんだろうなあ。

ということで、これについてはまた別のときに考えよう。 


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