2016年の正月をバンコクで迎える。 [バンコクライフ!]
あけましておめでとうございます。
最近、日本を出てから何年になるのかよくわからなくなっていたのですが、2014年の春からバンコクに来たということは、もうすぐ、あと数ヶ月でバンコク生活も丸2年になるということですよ。
ちょっと引きますね。
バンコクに来る前にも東南アジア圏にいろいろと行っていたので、日本で普通に働いてたのは2年以上前になるわけです。
ということで、ざっくり東南アジア生活2年と考えて、感慨に浸ってみることにしよう。
あ、でもお正月をバンコクで迎えたのはこれが初めてでした。
昨年はどっかに行ってたので。
なんか正月なんか俺には関係ねえぜ!という気分で迎えたニューイヤー2016だったのですが、花火がバンコク中、遠くや近くや、あちらこちらで何十箇所と盛大にあがり、わあ!!っと、キラキラした気持ちに。
日本で花火といえば真夏の花火大会で、ニューイヤーに花火というのはあまりイメージがなかったのですが、世界的に考えるとわりと普通なんだろうなあ、と不思議な気持ちになりました。
セントラル前のカウントダウンが有名みたいだし、今年は史上最大に盛大と銘打って、川沿いの寺(暁の寺、ワット・アルン)でのイベントも大きかったみたいだし、それなりのお祭り騒ぎはあるし、一月二日はまだ閉まってる店もそこそこあったけど、三日からは通常運転っぽい。
で、そうだった、2年を東南アジアで暮らしたことについてね。
1) 明確な脱出期限を設けようと思う。半年後とかに。
やっぱり怖いですね。このまま東南アジアの感覚に埋もれ、それが当たり前になって、ここでしか生きていけなくなるのが。
それから、やっぱり得られるサービスやらの限界を考える。
最先端のテクノロジーやサービスに遅れをとるということもあるし、人的な問題でサービスの品質が悪くて、フラストレーションを覚えるということもある。それから、自分が所詮外人で、タイ語や英語に限界があり、思うようなサービスが受けられないという点もあるだろう。
そういう環境でサバイブすることも、とてもいい訓練だし、勉強にもなるのだが、当たり前だがやっぱり自分が高品質の何かを提供したいなら、高品質のインフラを使えるに越したことないと思う。無駄が多いのだ。
ただもちろん「そのぶんコストが安い」というかけがえのない魅力があるので、日本や日本並みの先進国に帰ったり行ったりした時に費用対効果をどう感じるのか、という問題はあるけど。
でもとにかく、ここに埋もれないために、期限を決めて、それまでにコストの安いここで、やり尽くせることを考えて、計画的に行動していくようにしたい。
南国のだらだらムード、リゾートムードは、ストレスを癒し、精神状態を健康に保つにはいいことなのだけど、流されすぎてはいけない。
まあそういう意味では本当、駐在さんや駐在妻さんは、期限があるぶん、バンコクの美味しいところを計画的に摂取する意識になって、いいんだと思う。
現地採用といえども、私の場合はこのままずっと骨を埋めようとか、10年は働こうとかいう気にはならなかったので、期間限定というモードに切り替えてやっていくことにしよう。
2)タイマッサージがないと生きていけない体になってしまった。
バンコクをしばらく離れたりすると、バンコクに帰りたくてうずうずすることがあるが、大きな理由のひとつはタイマッサージである。
バンコクのタイマッサージのコストの安さとレベルの高さは本当に神レベルであり、芸術である。
これを知ってしまうと、どんなに肩が凝っても、ほかの国でマッサージにいくのがバカバカしくなってしまう。
この一点において、バンコクを離れられるか心配になる私がいる。
3)物価の安さ、暮らしやすさは本当に素敵。
モンキーバナナ1房10バーツ、パパイヤ1kg20バーツで生活している私。
もちろんフィリピンやインドネシアなど、ほかの東南アジアも物価は安いはずなのだが、外国人がよくも悪くも特別扱いされ、金持ちとして、ボッタクられたりする度合いは強い気がする。
タイは外国人をそんなに特別扱いしないというか、少なくともローカルフードの値段についてはぼられることはないので、暮らしやすいし、タクシーやバスなども乗りやすいのにやすい。
この物価が当たり前になってしまうと、ほかの国に住むのが馬鹿馬鹿しいかもしれない。。
4)お前には永遠に住み続けたいほどの強固な愛があるのか?
さてなんで骨を埋めたいとか、10年はいたいとか思わないのかというとか、結局、そこまでのスペシャルな愛情をタイに感じなかったということだと思う。
もちろん良いところはいっぱいあるんだけど、惚れませんでした、っていうところかしら?
て言いながら、まだタイに住まわせて頂いてるんだから、お前何様だって話であって、住みやすいことは住みやすい。
でもやっぱり長く住むんだったら、ただの住みやすさじゃなくて、住みにくかろうがそこに、特別な愛がないとな、と私は思うのです。
そしてこの特別な思いがいだけるかどうかは、要するに個人のセンス次第だと思います。
あるファッションブランドや音楽バンドをどこかの誰かは素敵だと思うのに対し、全く興味を持てない人もいる、そういう差だと思います。
もちろん愛がなくても、確固たるそこに住む目的があれば話は別ですが。
私はきっと、当初あった目的が今は方向性が変わり、目的がなくなってみると、愛がそこまでないということに気づいたのかもしれません。
でもこの住みやすさに甘やかされて、ほかに行った時に、ゲゲゲ、バンコク良かったなーってなって、また帰ってきたりしてしまうんじゃないかという一抹の不安がすでにある。
でもそういう消極的な理由、「ほかに行くところもなくて、別れられなくて一緒にいる」みたいなのじゃなくて、「お金がなくて大変だけど、一緒にいられるだけで幸せ」みたいな積極的な理由で生きていきたいよね!
改めて、攻めの一年にしたいと思う次第です。
本年もよろしくお願いいたします。
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