ベジタリアンフェスティバルで頰に刃物や串を刺すのはなぜか。 [タイ人について思うこと]
タイのお祭り、ベジタリアンフェスティバル。
2015年は10月13日〜21日まででした。
バンコクでは読んで字のごとく、菜食をする期間。
菜食だけでなく、アルコールやセックス、乳製品なども断ち、身を清め嘘をつかずに善行につとめます。
それによって、健康や幸運を願うという、いたってノーマルで健康的なイベント。
だがしかし、発祥の地であるプーケットではそんなものではない。
過激さが違う。
どう過激かといえば、まず有名なのが、痛そうな行為である。
火の上を走る、まあそれくらいは日本でもあるけど。
刃物のついたハシゴを登る。
ほっぺたに鉄の串を刺す。何本も刺す。刀も刺す。何刀も刺す。
それどころかピストルだの野菜だの果物だの、自動車のホイールから自転車本体からギターから意味不明なものも刺す。
で、この節操のなさはなんなの?
そして、本来、肉や魚や酒を絶って身を清めようねって趣旨の祭りなのに、なんでそういうことすんの?
というところで、最初に聞いたのは「神様が降りてきてるから痛くない、それを見せてる」という話。
それだけ?
と、思ってたら、「苦行をした人は、その後神様から守られる」というような話も。
でもなんかこれだけのことをするわりには説得力がないよね?
ちなみにこの苦行をする人たちは神様の馬、マーソンと呼ばれ、1ヶ月前から菜食。
祭りの間は神様が降りてくるという、特別熱心な信者です。
そして何を刺すかは、乗り移る神様が事前にお告げするらしく、けっこうコミカルだよね。
フラフープだ!とか、野菜だ!とか言ってきたりするわけでしょ。うーむ。
それはさておき、ちゃんとした説明を知りたいと思い、公式ホームページをみた。
http://www.phuketvegetarian.com/phuketvegetarian-eng/phuketvegetarian-history.htm
プーケットのベジタリアンフェスティバルの公式HPによると、
Ma Song, or entranced horses, are devotees whom the gods enter during the fest. They manifest supernatural powers and perform self-tortures in order to shift evil from individuals onto themselves, and to bring the community good luck.
超自然パワーを見せつけるとともに、悪を吸い出して、コミュニティに幸運をもたらす意味があると。
Ma Song fall into two categories: those who, having had an intimation of impending doom, want to extend their lives; and people specially chosen by the gods for their moral qualities.
マーソンには二種類いて、
1)差し迫った凶運の暗示があったが、生き長らえたい人
2)神様からその徳を認められた選ばれし人
ということらしい。
というわけで、まあ一応、この振る舞いに意味はあるけど、「苦行」ってポイントには、たいして意味がないっぽい。
苦行をすればするほどいい、みたいな意味もなし。
いやもちろんなんらかあるのかもしれないけど、これだけ世界中から「なぜ串刺しを!!」と思われているわりには、公式ホームページにて苦行の意味についてたいした説明はされていないので、それくらいということで。
まあ確かに自分を傷つけることで、自分の中の悪を殺せそうな感じはするし、これだけのことをすれば、災厄を免れられるだろうという取引ができるような気持ちになるのは、わからないでもないけど・・
あくまで乗り移った神様がやってること、っていうのがまた意味をぼんやりさせている。
しかし、その「たいした宗教的な意味がない」という、それがこの祭りのトチ狂ってるなによりのポイントだよね!と私は思う。
苦行祭りということであれば、ヒンズー教のタイプーサムがあるが、願いが叶ったので神に苦行によって感謝を表すとかで、宗教的な意味がある。
熱心な信者なら苦行をしようという熱意もわかる。
過激な信仰には過激な行為がつきもので、そんなに不思議に思わない。
しかしタイのこれはなんでしょう?
儀式は儀式だけど、教義に裏付けされた信仰心によるものとはまた違う。
タイでもヒンズー教の神様をお祀りしてるのはなぜ?
なんだか強力なご利益パワーを持ってるらしいの、だから神頼みしちゃう!っていう例のノリに通じるものを感じるわけです。
そもそもベジタリアンフェスティバルの起源だって、中華系タイ人の多いプーケットに、中国から慰問にやってきていた劇団が病に倒れたので、菜食して身を清めて、神様にお願いしてみたら治った。
それを聞きつけた中華系タイ人たちが菜食祭をはじめた、というもの。
宗教心ありきではなくて、そもそもご利益ありき。
そしてこの串刺しスタイルも当初からあったものではなくて、どうやら隣国マレーシアのタイプーサムのスタイルを取り入れて発展させちゃっただけっぽいし。
そしてその割には超熱心にのめり込んでいってしまう、というか、いけてしまうというか。
タイ人は大の男でも注射が怖くて泣き出したりする人が多いと、会社の健康診断で聞いた。
そんなタイ人がこんな恐ろしいことができるなんて、そこがタイ人だという気がする。
なんというか、のめりこめるタイプなんだと思う。
そして信仰心は強いんだけど、その信仰心が崇高なのかというと、そうでもなくて、ただ単にスーパーナチュラルなものに頼っておけばいいことがある!というゲンキンな気持ちだったり、先祖代々大事にしてきた神様なんだから当たり前でしょ! というある種頑迷な信心深さというか生来的に生活に浸透したものだったりする気がする。
ベジタリアンフェスティバルはそういう意味で、とってもタイ人っぽい一面が見られる気がします。
なお爆竹をならしまくるのもなんで?と思っていたけど、あれは爆音で悪を追い払う意味があるそうで、音は大きければ大きいほどいいそうです。
しかし、これを書いているうちに、さっぱりわからなかった串刺しもなんとなーくわかる気がしてきました。
つまり雨乞いの儀式とか人柱とかそういう土着的なノリ、生贄的なノリなんだろうなーと。
犠牲、代償、神様との取引。
そこに、若者のチキンレース、根性だめし、トリッキーなことして目立ってやる、という気合い見せつけたい欲望がうまくマッチして今日に至るような。
いやもしかしたら滝に打たれるとかお百度参りとかみたいな修行、修験的に捉えているのかもしれないよね、やっている人々は。
でも苦行とか修行とはどうも思えない。だいたいトランス状態で痛くないっていうんだし。
どちらかいうとコミュニティの平和のための生贄儀式を兼ねた、興奮したり目立って認められたりしたいという欲求を解放する祭としての祭、という解釈したほうがわたし的にはしっくりくるのだった。
コメント 0