他の東南アジア諸国からタイに帰国して思うこと。 [タイ人について思うこと]
非常によかった、一番よかったと思うのは、自分がアジアの一員であるというアイデンティティーが明確になったことではないかと思う。
1年タイに滞在している間に、周辺諸国を旅する機会に恵まれた。
点が線に、線が面になるように、アジア諸国のそれぞれのキャラクター、相互の影響、類似点、相違点を知るにつれ、つくづく自分は、日本人というか、アジア人なんだなと感じるようになった。
アジア人のひとりとして、そしてアジアの中の先をゆく日本人として、何ができるのか、どう生きるべきか、そういう視点で物事を考えるようになった。
ベトナム、カンボジア、ラオス、シンガポール、、タイ近隣諸国に訪れてはいつもバンコクにある我が家に帰ってくる。
そのときに何を思うか?
それがまた面白い。
隣国なので、東南アジア的な「トロピカルフルーツ!」「屋台!」「市場!」「バイクいっぱい!」なところは、どこも似たようなもんっちゃ似たようなもんだけど、その少しの違いが味わい深い。
先日カンボジアから帰国した際には、「なんだ、この奇跡のように発展した豊かな国は?」と思った。
タイとカンボジアはお金持ちの家にもらわれた子と、貧乏な家庭にもらわれた子の兄弟、みたいな、生き別れの双生児のように感じた。
共通する文化はたくさんあり、兄弟のように似ているのに、歩んだ歴史が全然違う。。。
もしくはタイは、カンボジアにとって隣家の成功した兄貴みたいなものなのかもしれない。
タイは、東南アジア諸国のスタンダードから、頭一つ抜け出した成功例なのだということに思い至った。
今回はインドネシアから帰国した。
インドネシアは初めてではないが、以前訪れたときは日本から行って帰る完全なバカンスだったので、今回とは状況がかなり違う。
しかし初めてでないぶん、インドネシアに行って、おお!と思うことはそんなになかった。
こんなもんかな、こんなもんだよね、東南アジアだね、みたいな。
インドとフィリピンを足して2で割った感じかなー。いや、タイやマレーシアのエッセンスもあるよね、みたいな。
ちなみに今回訪れたのはジャワ島なので、リゾートばりばりのバリ島とはまた事情が違うと思う。
また東南アジアとはいえ、タイとは適度な距離感があるので、それがまた面白い。
さてジャワ島の人々は本当にあったかかった。マイルドだった。親切でかわいくて、邪気がなかった。
フィリピン人的な人懐っこさはあるものの、フィリピン人ほどの押しの強さはなく、タイ人的なシャイさも持ちつつ、フィリピン人やタイ人みたいなアクというか癖の強さはあんまり感じなかった。
道歩いてると「
クマナ?」(どこ行くの?)などと、ほとんどの道端の人が声をかけてくる。
それがドライバーみたいな商売のこともあれば、ただの好奇心というか暇つぶしのこともあるのだが、とくに邪気がなく、答えると、「そっちそっち」みたいな感じで道を教えてくれる。
フィリピン人という人種をすっかり愛してしまったように、インドネシア人に惚れたかというとそこまで興味はひかれていないのだが、なんだか落ち着くなー・・という感じだった。
私が惚れてしまったのはむしろ、インドネシアの手工芸品である。
バティックをはじめとする手工芸品の芸術的レベルの高さ。
というわけで、楽しんでいつものように帰ってきたバンコクの我が家。
かわいい木の上のお家。(木の上ではないけど、高層階にこじんまりとした部屋なので、遠出して帰ってくるとそう感じる。)
一番落ち着く、お気に入りの大好きな我が家。
帰ってくる場所があるのはありがたい。
でも今回は重要なことに気づいてしまった。
わたし、タイがあまり好きじゃないのかもしれない、ということ。
というのも、バンコク行きの飛行機のなかで、Yシャツの襟を開襟シャツのようにピシッと折ってアイロンがけして着ている男性を見て、「ああ、タイ人だな」と懐かしく思う反面、「うわ、タイ人だ」と思う自分がいたのである。
BTSに乗って化繊のミニワンピにロングヘア、濃いお化粧の女性を見たときも、「あー、タイ人だなあー」と思ったが、それは愛ではないように感じた。
そこには、華麗なバティックの柄シャツを着る男性たち、優雅なヒジャブやサロンを身につけた女性たちへの一抹の懐かしさがあった。
インドネシアは、都市ではタイより発展しているように思えるところもありつつ、いまだに馬車やベチャ(ベトナムでいうシクロ。トライシクルやトゥクトゥクのオートバイが自転車になったもの)が主役の地方都市もある。
これはけっこうビックリ。
というのも、20年前の地方都市のインドでさえ、馬車はもう主流ではなく、バイクや車によるタクシーに押されていた記憶があるからである。
もちろんその都市の移動規模感的に、バイクやタクシーはtoo muchで、自転車や馬車がちょうどいい感じだったからこそ生き残っているのかもしれない。
その町にはバスこそあれ、タクシーやバイクタクシーはマイナーな存在で、ベチャと馬車の数が圧倒的に多い現実的な移動手段で、堂々現役主役なのである。
他の東南アジア諸国では、いまやだいたい、バイクの後ろや横に荷台をつけた三輪タクシーや、小型トラックの荷台部分にベンチ式のシートをとりつけたミニバス的なもの、普通の二輪車の後部座席に乗る二輪タクシーが主流である。(タクシーや市バスなど、日本にある乗り物は別として)
自転車や人力車は残っているとしても、限定的という認識だったのである。
というわけで、伝統的な衣装を身につけているということは、ただ単に、発展途上で服装の自由がないというだけかもしれない。
インドだって20年前は多くの男性がルンギ(腰巻布)だったのに、いまやみんなジーンズやジャージだし。
そんななかで多くの女性はいまだサリーというのも、差別を感じるし。
それでもいま私はバティックを身にまとうインドネシア人と、インドネシアの多様性、さまざまな文化圏・・・インド、中国、日本、イスラム、ヨーロッパ・・・の影響をうけた文化に面白みを感じてる。
マレーシアに行った際には女性達のヒジャブの優雅さに、インドでは女性達のサリーの美しさに、タイ北部ではモン族やアカ族の衣装の素晴らしさに、ベトナムやラオスでは刺繍や織物の繊細さに、いつもいつも魅了されてしまうので、布のとりこになるのは珍しいことじゃない。
でも布だけじゃないんじゃないか・・・。
なんだか今後の自分の方向性にヒントを得たような気がしました。
※ちなみに写真はタイとカンボジアの国境です。
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