無駄な恋なんてひとつもない!?また東南アジア駐在が決まって。 [バンコクライフ!]
ははは(笑)、今は2019年12月なのですが、実はこの記事を書いたのは2019年2月で、書き途中のまま、下書き記事として放ったままになっているのを発掘した。やっぱり自分の書いてることって、自分自身だから当たり前なんだけど、気が合うというか、今読んでもそうねー、そんなこと考えてたのね、と思える(笑)
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実はまた東南アジア赴任が決まりまして。
いま部屋の片づけを進めながら、マリッジブルーみたいな心境です。
次はまた海外へ、駐在で、という計画通りのことが起きたのに、うれしかったのは束の間、今は胃が痛い。
東京に帰ってきて1年半。
このまま東京にいても、キャリアが中途半端だ。
もう1カ国、どこかで働かないと、国際人とはいえない、みたいな感じの感覚ね。
タイでいろいろと日本の感覚からはみ出した価値観や生き方を知ってしまって、
やっぱり東京でおとなしくしてるのはもう、ね。。つまんない、みたいなね。
とはいえ駐在員とは感覚が違うと思う。
東京で、インドネシア駐在してた若い男の子と飲んだけど、彼なんかはまた海外で働きたい、というのの意味が、またあのリッチでセレブになったみたいな特別扱いをされたい、というようなニュアンスだった。
私は現地採用だったので、「あー出た、東南アジアボケの勘違い野郎」「やっぱり若いうちに駐在になっちゃうとこうなっちゃうんだなー」と感じた。
私は現地採用だったので、二度と現地採用では働きたくない、という気持ちがある。
駐在員との差別的待遇、二級市民みたいな扱い、それでいてローカルとは違う厳しい日本人規律というダブルスタンダード、うんざりだ。
それでも海外で働きたいと思い続けていた理由はなんだろう?
それはやっぱり、同じ苦労をするんだったら、よりエキサイティングで新しい発見があることをしたい、という感じか。
例えば、結婚生活とか育児とか。
どうせ誰と結婚したって、それなりに苦労はあるだろう。
それだったら、人生の発見がよりあるほうが楽しい。
だから外国人がいいかな、と思ったりする感じ。
仕事でも同じ感覚だった。
だがしかし、マゾではないんだな。
いま、マリッジブルーな私としては、そこ重要!って感じ。
外国人の結婚相手だとしても、最大限信頼できて、最大限大好きで、この人だ!って人じゃないとダメに決まってるじゃん?
別にみすみす苦労がわかってて、飛び込んでいきたいわけじゃないじゃん?
だけど今の私の状況は、特攻隊みたいな感じだねー。
もう何も考えず、目をつぶってとびこめー!!的なね。
行きの燃料はあるけど、帰りの燃料はないんじゃないのか?みたいな。
駐在だけど、日本企業の駐在ではないので、ふつうに現地採用として働くよりお給料の条件はいいかもしれないが、日本企業の駐在員のような手厚い待遇は見込めない。
日本を離れるとなると、色々と日本で保証されている心地よさが失われる悲しさが思い起される。
まず、日本食ね。
先日久しぶりにバリ島に行ったけど、1週間ほど行って帰ってきたら、もう日本の食事がおいしくて美味しくて。
最近食べ飽きてたコンビニのおにぎりですら、美味しくて。
バリ島在住の日本人のおじさんが、一時帰国の際に大量に買ってきてた日本のお菓子を、娘に隠れてむさぼり食ってしまった・・・というエピソードも他人ごとじゃないな。
いや日本のお菓子って、日本にいると普通の身体によろしくないスナック菓子、、ですけど、東南アジアでたまに食べると神のようにおいしいものね。
それぐらい、ふだんの食事って、まずくはないけど、別においしくはない・・っていうものが多いんだよね。
次、お風呂、温泉。
そしてストレスのない住環境。
これからは、いろんな珍事件がたえず発生し、それが絶えず私を脅かし、解決をたのんでも、のらりくらりとはぐらさかれたり、ムカつく対応をされたり、逆切れされたり、、、そして耐えるしかない!!みたいな、余計なストレスがいっぱいの生活が予想されるじゃん。
そして。。。
と、いろいろと不安を吐露しようと思ったけど、今回は駐在期間は1年じゃった。
そうだ。たいして長くない。
あっという間じゃ。
と思ったら、なんかそんなにぐへっと思うことではないと今少し気が楽になったわ。
そうじゃった。
で、なぜ、YOUの「無駄なラブストーリーなんてひとつもない」を最初に出してきたかというと。
このCMのそのキャッチコピーがよくもわるくも、印象的だったからです。
「そうだよね」という思いと「ほんとかよ、んなわけないよ」という思いが両方思い起されたからです。
私がタイに住んで働いた経験で、今まで旅行とか短期滞在でいろいろな国を訪ねたことと決定的に違う経験ができたのは、やっぱり一言でいえば「金」。
「経済格差がある社会でその不条理にもまれながら生きる」経験だと思う。
日本はとても金銭的にも清潔で、平等で、経済的な補償もしっかりしていて、安心・安全・清潔な世界。
だけど、東南アジアは違う。
経済格差のある人と、心からの友達になったり、恋愛をしたりするのは難しいというのは感じました。
もちろん可能です。
でも、日本人を含め、先進国の人間が、東南アジア人との恋愛で、最終的に金銭をだましとられた話、なんていうのは、ごろごろごろごろ転がっていて、それはもう、おばあちゃんの知恵袋的な経験則からいえば「悪いことは言わないから、最初からやめておきなさい」というのが正しいよね、と思ってしまうくらいだったよね。
もちろん、多くの人が幸せな結婚生活をされているのも知っています。
しかし、そこに横たわる難しさ。
東南アジアで金銭をだましとられて人間不信になった人にも「無駄な恋なんてない」って果たしていえますか?
とふと私は考えてしまったのでした。
ま、でも言えますよね。
人間とは何か、世界とは何か、経済格差とは何か、自分に何が足りなかったのか。
そういうものの勉強になる。人生勉強だと思って、、というあれですけど、やっぱりそうなんだろうな。
とはいえ、人間不信とか、自信喪失とか、そういうものにつながり、回復に時間はかかるだろうし、
人によっては全財産を失って絶望して自殺してしまう人もいる。
ただ思い出したんだ。
以前聞いたインドネシア人のおじさんの話。
会社が失敗して、金がつきたところで、(インドネシア人)妻子が逃げた、結局、インドネシア人女性は金なんだ!!と、人間不信に陥ったそうだ。
だけど、その話を聞いて私は正直に思った。
要するにそのおっさんは、妻に好かれてなかったんだと思う。
もちろん金は大事で、金がないと暮らしていけないんだけど、それでもなんとか夫妻で頑張っていこうと思えるだけの人望を妻から得ていなかったんだなあ、と感じた。
きっと横柄だったりとか、思いやりがなかったり、、お金を稼いでくれるから一緒にいたけど、お金がないなら一緒にいる意味がない、というくらいに、好かれてなかったんだなあ、と。
もちろん最初から金目的で近寄ってきた人のケースは、金がなくなって離れていくっていうのはあると思いますけど、それだけじゃないんじゃないの?って思った。
熟年離婚もそうだと思う。
別に金が目当てで一緒にいたわけじゃないだろうけど、40年も一緒にやってきて、
リスペクトとか情とか信頼とか友情みたいな。。。そういうのが残ってるか、
むしろ嫌悪感や恨みつらみだけが残っているか。
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